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東京高等裁判所 昭和51年(う)237号 判決 1978年8月30日

本店所在地

東京都新宿区新宿一丁目五八番地

栄興土地開発株式会社

(右代表者 代表取締役 車谷弘)

本籍ならびに住居

千葉県夷隅郡大原町大原八七一七番地

会社役員

車谷弘

大正四年六月五日生

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、昭和五〇年一二月一二日、東京地方裁判所が言渡した有罪判決に対し、各弁護人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官河野博出席のうえ審理をして、つぎのとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤田一伯作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官河野博作成名義の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し、当裁判所は原審記録を調査し、当審における事実取調の結果に基づき、つぎのとおり判断する。

一、控訴趣意一(法人税法一五九条にいう「不正の行為」についての解釈、適用の誤りの論旨)について

当裁判所は、法人税法一五九条にいう「不正の行為」の意義に関しては、所論の最高裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)の判断に従うべきものと解するところ、この点に関する原判決の判断も、これと同一であると解される。もつとも所論指摘の原判決中の右最高裁判所の判決を敷衍判示する部分はその措辞必ずしも適切であるとはいえないが、これを全体としてみると、そのいわんとするところは結局右最高裁判所の判決の判断と同じであると解することができる。

所論は、原判決は不正の行為にあたるか否かの判断にあたり、被告人栄興土地開発株式会社(以下単に被告会社という)において帳簿類が不備であつたことをことさらに強調しているのは不当であるし、不申告それ自体が不正の行為であるとしたり、無記名定期預金の設定や他人名義の資産取得を不正の行為であるとしているのは、明らかに前記最高裁判所の判決の見解を逸脱するものであり、不当である、というのである。

しかしながら、不正の行為の態様は、帳簿の備付状況、経理組織の状況いかんと相関関係にあつてまさに千差万別であるから、本件においては、帳簿類が整備されていないという被告会社の経理状況をふまえて不正の行為に該当するか否かを判断することはむしろ当然のことである。また、原判決の「罪となるべき事実」および「弁護人の主張に対する判断」の項を全体としてみれば、本件においては無申告の事実のみを把えてこれを不正の行為と認定したものではなく、帳簿が整備されていないという経理状況のもとでの無記名定期預金の設定、他人名義の土地取得、無申告行為を全体として不正の行為として把えていることが明らかである。なお、原判決は所論指摘のように、「弁護人の主張に対する判断」の項(五丁裏)において、「仮名ないし無記名預金の設定行為、他人名義による資産の取得行為などはこれ自体、所得を隠ぺいし所得金額の捕捉を困難ならしめるものであつて、原則として(不正の行為)に該たるものと解する」と説示しているが、右説示は、その前の部分とあわせ読むと逋脱の意図の存在を前提として右のように説示していることが明らかであつて、いかなる場合でも右各行為自体が当然に不正の行為に該るとしているのではない。当裁判所も右説示を支持しうるのである。

原判決には、所論のような法令解釈適用の誤りはない。

論旨は理由がない。

二  控訴趣意二(無記名定期預金の設定についての事実誤認および法令適用の誤りの論旨)について

1  無記名定期預金の設定には逋脱の意図がなかつたとの論旨について

まず、原判決挙示の各証拠、ことに、被告人車谷(以下被告人という)の検察官に対する昭和五〇年三月六日付、同月二〇日付、同月三一日付供述調書によれば、被告人が、被告会社の資金により原判決の指摘する無記名定期預金を設定したについては、銀行から融資を受けるにあたつての担保とするという意図があつたと共に、他方、「無記名としておけば外からは誰の預金かは分らないことは都合がよい」、「私としても税金はなるべく少い方がよいという気持で無記名にすれば他の人や税務署に知られないですむ」と思い無記名にした、すなわち、被告人の認識としては、逋脱の意図があつたこと、が優に認められるのである。

所論は、当時被告会社においては会社資金の積極的運営のみが要求されていたのであり、積極的姿勢をとつていたのであるから、資産の隠ぺい、所得の逋脱という逃避的消極的姿勢とは矛盾し、前記のような二つの意図の共存はありえない、というのである。

しかしながら、会社が、積極的な営業活動をし、資金の積極的な運営をはかる一方、資産を隠ぺい、備蓄することはありうることであつて、けつして共存しえないことではない。所論は独自の見解であつて採用できない。

所論は、また、無記名定期預金設定後の経過をみると、昭和四八年五月二五日に至り被告人は銀行から希望額の融資を受けえなくなるや、右無記名定期預金を解約し、銀行の依頼による一部を除いて同日大部分をもとの北海道拓殖銀行函館支店の被告会社名義の銀行口座に戻して、これを被告会社の営業資金として用いているのであるから、そもそも右無記名定期預金の設定の際に逋脱の意図があろうはずがない、というのである。

なるほど、関係証拠によると、被告人は、昭和四八年五月二五日、本件無記名定期預金を解約し、その一部である五〇〇万円を除き、一五〇〇万円を、北海道拓殖銀行函館支店の被告会社名義の普通預金口座に戻したうえ、営業資金として使用したことが認められる。また、被告人は、右解約の動機につき、検察官に対する昭和五〇年三月二〇日付供述調書中において、一向に融資してもらえそうにないので腹を立てて解約した旨供述している。しかしながら、馬場将夫作成の証明書(原審記録第二冊四〇四丁)によれば昭和四八年五月二五日に、北海道拓殖銀行函館支店の被告会社の普通預金口座に一五〇〇万円が戻される直前の同口座の残高はわずかに二万一二六〇円にすぎず、他方一五〇〇万円の入金がなされてからつぎの入金があるまでの二〇日間位の間に合計一四〇〇万円の引出しがなされていることが認められるのであり、右預金口座の入出金の状況からすると、前記被告人の供述のように、単に一向に融資してくれそうにないので立腹して解約したものであるとは解されず、まさに被告会社において資金の必要が生じたがために解約しこれを使用したと理解するのが自然なのである。すなわち、逋脱の意図をもつて無記名定期預金として隠ぺい備蓄していた資産を、使用する必要が生じたために右無記名定期預金を解約した、と認められるのであつて、解約の事実は、無記名定期預金の設定に逋脱の意図があつたとすることと何ら矛盾するものではない。

所論は、本件逋脱罪が成立したとされる昭和四八年五月三一日の時点においては本件無記名定期預金は既に存在しないのであり、これに用いられた金員の所在と行方は被告会社の正規の銀行口座において明らかになつていたのであるから、何ら資産を隠ぺいする行為とはなつていないのであり、このことからしても本件無記名定期預金の設定に逋脱の意図があつたとすることには疑問がある、というのである。

なるほど、先に指摘したとおり、関係証拠によると、本件二〇〇〇万円の無記名定期預金中一五〇〇万円については、本件逋脱罪の成立時である昭和四八年五月三一日以前の日である同年五月二五日に北海道拓殖銀行函館支店の被告会社の普通預金口座に戻されていることが認められる。しかしながら、戻された経過は、先に認定したとおり被告会社の営業資金として使用する必要が生じたからであつて、本件無記名定期預金の設定にあたり逋脱の意図があつたと認定することの妨げとなるものではない。

なお、所論は、被告人の前記検察官に対する各供述調書中の、無記名定期預金の設定には逋脱の意図もあつたと供述する部分は、取調の状況および取調当時の被告人の年令、健康状態からして、信用性がない、というのである。

しかしながら、すでに判断したとおり、無記名定期預金の設定にあたり逋脱の意図があつたと供述する点は、他の客観的な事実とけつして矛盾するものではないし、被告人は原審第一回公判において公訴事実を全面的に認める旨供述しているという事情もあるうえ、他に信用性を疑わしめる特段の事情もないから、被告人の年令や健康状態を考慮しても無記名定期預金設定にあたつての逋脱の意図について述べる部分の信用性は優に肯定しうるのである。

以上のとおり、本件無記名定期預金の設定には、被告人に逋脱の意図があつたものと認められ、この点に関し、原判決には所論のような事実の誤認はない。

論旨は理由がない。

2  無記名定期預金の設定は不正の行為には該らないとの論旨について

被告人の大蔵事務官に対する昭和四九年四月二日付、六月二七日付各質問てん末書、検察官に対する昭和五〇年三月六日付供述調書によれば、被告人は、昭和四七年八月ころ、休眠会社である栄興土地株式会社を五〇万円で買取り、これを商号変更して現商号としたのであるが、被告会社の登記簿上の本店所在地には事務所等はまつたくなく、仕事をしていた北海道恵山地区においても、同業者の事務所内に簡単な連絡場所を設けていただけであり、所得申告をしなくても税務署から発見されることはありえないと考えており、積極的に申告する意思は当初から持つていなかつたこと、が認められる。そして、本件無記名定期預金の設定自体にも逋脱の意図があつたことは右1において検討したとおりである。さらに関係証拠によると、イ被告人は、本件無記名定期預金を設定するにあたつては、北海道拓殖銀行函館支店の被告会社の普通預金口座から、現金で一挙に三九〇〇万円を引出したうえ、そのうちの二〇〇〇万円をこれにあてていること、したがつて、被告会社名義の普通預金口座のうえからは、被告会社の資金により無記名定期預金が設定されたということはほとんど発見困難であつたこと、ロ右のうち一五〇〇万円については、昭和四八年五月二五日に、北海道拓殖銀行函館支店の被告会社の普通預金口座に戻しているが、戻した理由は営業上の資金を必要としたからであること、ハ手続的にはいつたん全部を解約したとはいえ、同日右二〇〇〇万円のうち五〇〇万円についてはそのまま平和相互銀行本店において無記名定期預金として残しており、同四九年二月一二日に解約するまでそのままの状態で存続させていたこと、ニ被告会社にあつては、その損益を明らかにすべき帳簿も、その資産を明確にすべき帳簿も一切備えられていないこと、が認められるのである。被告人の会社を買収したときからの基本的意図ならびに会社の経理の状況を背景として本件無記名定期預金の設定の状況ならびにその後の経過を全体としてみた場合、右認定の一連の行為は、法人税逋脱の手段としての被告会社の資産を隠ぺいし、その所得金額の捕捉をいちじるしく困難ならしめる行為、すなわち法人税法一五九条にいう偽りその他不正の行為に該当するものと認められ、したがつて、本件の無記名定期預金の設定を被告会社の経理状態等と併せて、法人税法一五九条にいう偽りその他不正の行為に該当するとした原判決には、所論のような法令適用の誤りはない。

論旨は理由がない。

三  控訴趣意三(第三者名義による土地取得行為に関する事実の誤認および法令適用の誤りの論旨)について

原審で取調べた馬場将夫作成の証明書、長瀬吉治作成の「取引の内容について」と題する書面、登記済権利証(東京地裁昭和五〇年押第八二五号の4)、被告人の大蔵事務官に対する昭和四九年四月一六日付質問てん末書、被告人の検察官に対する昭和五〇年二月一〇日付、三月六日付各供述調書によれば、イ被告人は、被告会社の利益を現金ではなく不動産に形を変えて蓄積しておこう、妻の名前にすれば会社の利益が外からはわからなくなる、との考えをもつたこと、ロそこで被告人は、同人の妻車谷勲(以下勲という)名義で千葉県夷隅郡岬町長者字大下宿三一九番宅地八八二・六四平方メートルを取得することを企図したこと、ハ右物件の取得価額は一八六九万円であり、右金員は以下のように拠出され、支払われたこと、ニまず、昭和四七年一二月二〇日、北海道拓殖銀行函館支店の被告会社名義の普通預金口座から一〇〇万円を引出し、千葉相互銀行大原支店の田中勲(勲の旧姓)名義の普通預金口座に入金し、さらに翌二一日、北海道拓殖銀行函館支店の被告会社の普通預金口座から引出した三九〇〇万円のうち三〇〇万円を同日右田中勲名義の普通預金口座に入金したこと、ホ昭和四八年三月一二日千葉興業銀行大原支店の被告人名義の普通預金口座(関係証拠によると同預金口座は実際は被告会社の口座であることが認められる)から五〇〇万円を引出し、同日前記田中勲名義の普通預金口座へ入金したこと、へ右土地の売買契約は昭和四八年五月二日に締結され、同日、以上合計九〇〇万円と被告会社の現金一〇〇万円を合わせた一〇〇〇万円を手付金として売主に支払つたこと、ト売買契約の買主は被告人個人であつたこと、チ同年六月五日被告人や勲が拠出した残金八六九万円を支払い、翌六日、勲名義に売主から所有権移転登記がなされたこと、の各事実が認められる。

そもそも、被告人が被告会社を買収した意図は前記二2の冒頭で認定したとおりであり、さらに帳簿らしき帳簿を備えることをせず、被告会社の資産状態を客観的に把握できないような経理状態のもとで、前記認定のイのような認識をもつて、同ハないしへのようにいくつもの預金口座から複雑に預金を移動させたうえ、これを資金として被告人個人の、すなわち被告会社以外の名義で売買契約を締結して代金の一部にあてたことは、被告会社に対する法人税の賦課、徴収をいちじるしく困難ならしめる行為、すなわち、法人税法一五九条にいう偽りその他不正の行為に該当することは明らかであるというべきである。

所論は、本件逋脱罪の既遂時期である昭和四八年五月三一日を基準とすれば、本件土地の契約上の買主は被告会社そのものともいうべき被告人であつて、勲ではない、この点で原判決には事実の誤認がある、というのである。

なるほどさきに認定したとおり、昭和四八年五月二日、本件土地の売買契約がなされた際の買主は被告人であつたのであるから、原判決が罪となるべき事実中において「被告会社の資金一〇〇〇万円を支出して被告人の妻車谷勲の名義を用いて千葉県夷隅郡岬町に土地を購入して……」と認定したことは、本件逋脱犯の既遂時である昭和四八年五月三一日を基準とすると事実の誤認があるものといわざるをえない。しかしながら、本件において重要なことは、本件土地を妻名義で取得したか、被告人個人名義で取得したかにあるのではなく、被告会社以外の名義を用いて会社資産により土地を取得したことにあるのである。いかに被告人が被告会社の代表取締役であり、被告人と被告会社とを同一視しうるといつても、両者はあくまでも法律上の人格を異にするのである。会社資産を用いて被告会社名を出さずに、被告会社以外の名義で土地を取得したものである以上、右の行為が不正の行為にあたるとの評価自体に変動を生ずるものではなく、原判決の右の程度の誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは認められない。

所論は、本件逋脱罪の既遂時である昭和四八年五月三一日には、本件土地はまだ第三者名義になつていなかつたのであるから、かりに本件土地取得行為が不正の行為たりうるとしても、本件逋脱罪における不正の行為ということはできない、また、そもそも既遂時以前においては、本件土地についての売買契約の締結と手付金の交付がなされたにすぎないのであるところ、これによつて本件土地が取得されたものと認定することはできないのであるから、原判決にはこの点においても事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、本項冒頭において認定のとおり、昭和四八年五月三一日以前の日である同月二日、被告会社以外の人格である被告人個人と売主との間で本件土地の売買契約が締結され、同日、会社資金一〇〇〇万円が売主に支払われているのであつて、たとえ残金の支払および登記手続が五月三一日以後に行なわれたとしても右のような五月三一日以前の土地取得のための行為を不正の行為であると認定することの妨げとはならない。

以上のとおり原判決には所論のような判決に影響を及ぼすべき事実の誤認および法令適用解釈の誤りはない。

論旨は結局理由がない。

なお、所論は、原判決は本件逋脱罪の既遂時期につき事実を誤認している、ともいうのであるが、申告期限を徒過する日である昭和四八年五月三一日(被告会社の事業年度終了の日の翌日から二ケ月)の経過をもつて本件逋脱罪が成立するとしている原判決は正当であり所論のような事実の誤認はない。

四  まとめ

以上のとおりであるから、被告人および被告会社の本件各控訴はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条によりこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石崎四郎 裁判官 森眞樹 裁判官 中野久利)

○控訴趣意書

被告人 栄興土地開発株式会社

同 車谷弘

右の者に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は次の通りである。

昭和五一年三月三日

右被告人ら弁護人

弁護士 藤田一伯

高等裁判所

第一刑事部 御中

原判決は、以下に述べる通り法人税法一五九条における「不正の行為」についての誤つた解釈に基いた法令適用の誤りがある外、被告人の逋脱の意思の存否及び本件岬町の土地売買契約に関し事実誤認があり、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、不正の行為について

(一) 原判決はまず法人税法一五九条における「不正の行為」につき、「逋脱の意思をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難なからしめるようななんらかの偽計その他の工作」であるという最高裁判例を引用したうえで、これを更に敷衍して「不正の行為とは、要するに、申告納税制度のもとにおける税務官庁にとつて、納税者の所得金額の正確な捕捉を困難なからしめる一切の行為のうち、納税倫理に照らして非難さるべき作為又は不作為をいう」とか、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難なかしめる行為というのは「現実の賦課決定行為ないし現実の徴収行為を不能もしくは困難にせしめることをいうのではなく、納税義務者の所得金額の捕捉を不能もしくは困難ならしめるに足る虞のある行為をいう」としている。

そして右のような解釈に基き、原判決は被告会社の如くその取引・収支・資産状況を明らかにするような帳簿が皆無に近い状態のもとで確定申告をしないこと自体法人税法一五九条の不正の行為たりうるとし、更に同様な論理を用いて、無記名定期預金の設定や他人名義による資産取得それ自体所得を隠ぺいし所得金額の捕捉を困難ならしめる不正の行為だとしている。

(二) ところで最高裁は昭和四二年一一月八日判決において、「所論引用の判例が、不申告以外に詐偽その他不正の手段が積極的に行われることが必要であるとしているのは、単に申告をしないというだけではなく、そのほかに、右のようななんらかの偽計その他の不正の工作が行われることを必要とする趣旨であると客観的かつ具体的に判示している。

しかるに原判決は不正の行為について、前記最高裁判例を形式的に踏まえただけで肝腎の具体性・客観性は無視して、その範囲を単に「税務官庁にとつて所得金額の正確な捕捉を困難なからしめるに足る虞のある行為」にまで不当に拡大せしめたうえで、これを納税倫理というような極めて主観的要素の強い、かつ罪刑法定主義に反するが如き漠然とした概念を用いてかろうじて帳尻りを合せようとしているが、客観的・具体的な立場から厳密に条件設定をしている前記最高裁判例から恣意的にかつ著しく逸脱していることは明白である。

そして原判決の如く、「国家的道義や社会倫理の維持を刑法の任務とすることは、刑法に対する過大の要求であるだけでなく、自己の価値感ないし自己の好む「人間像」を、法の名のもとに他人に強制することにもなりかねない」(平野龍一・「刑法総論1」四四頁・有斐閣)のである。

(三) 仮にこのような恣意的としかいいようのない逸脱が許されるなら、法人税法一五九条にいう「偽りその他の不正行為により」という明文規定は単なる枕言葉として空文化し、不申告の場合における同法一六〇条との区別は裁判官の裁量によると解する以外にない。

原判決は右のような論理的欠陥を補うべく、被告会社において帳簿類が不備であつたことをさも意味ありげに繰返しているが、不申告後の税務官庁による賦課徴収という観点からすれば、被告会社の取引・収支・資産状況はいずれも会社名義の銀行口座において明らかになつていた(ここにおいては何の作為もされていない)ものであり、更に、一般に会社帳簿は税務対策として記帳操作されることが多いという現実に鑑みるとき、右口座において入金を過少にみせたり支出を過大にするなどの工作が何らされていない以上、ここに税を賦課徴収するには十分な客観性=資料的価値があつたものというべく、そして現実に後日これをもとに然るべく税の賦課がなされているのであるから、原判決が帳簿類の不備をことさら強調することこそまさに意図的であるといいうるばかりか、帳簿類備付義務に関する商法違反まで法人税法一五九条でカバーせんとするものに他ならない。

従つて、原判決が不申告それ自体不正の行為であるとしたり、無記名定期預金の設定や他人名義の資産取得を、ほとんど予断的に行われた偽計」にも等しい行為であるとしているのは、前記最高裁判例からの極めて乱暴な逸脱であるどころか、法の解釈適用を大きくのりこえた立法(抽象的危険犯たる虞罪的なもの)にまで暴走しているということができる。

二、無記名定期預金の設定について

(一) 原判決は、本件二千万円の無記名定期預金は被告人車谷においてこれを担保として融資を受けるべく、銀行側の都合と勧めによつて無記名として設定されたというその動機と経過は認めておきながら、被告人の逋脱の意思を窺わせる供述調書があることから、融資の意図と逋脱の意図は存在しうるとしてこれを不正の行為であると認定している。即ち、「被告人車谷は銀行側から無記名定期預金とすることを示唆されるや、『無記名としておけば外からは誰の預金かは分らないことは都合がよいので』『私としても税金はなるべく少い方がよいという気持で無記名にすれば他の人や税務署に知られないですむと思い』無記名定期預金の設定を承諾していることが認められるのであつて、この被告人車谷の認識は被告会社の資産を隠ぺいし、したがつてその所得金額の捕捉を困難ならしめる意図であつた」とし、更に被告会社において帳簿類が不備であつた状況での無記名預金の設定は外観的にもその帰属が不明となるから、客観的にも会社資産を隠ぺいする行為であるというのである。

(二) しかし、当時の会社をとりまく環境やその後の本件定期預金の処理方法を考えるならば、被告人車谷における逋脱の意図はありえなかつたことである。当時被告会社も参加した北海道恵山地区の開発計画は、大阪のPL教団の全面的バツクアツプを受けて総投下資本が八百億円といわれるものであり、被告会社も単に土地買上げに協力するだけでなく、右開発計画に歩調を合せて更に独自の営業活動を展開すべく、より大きな活動資金を必要としていたのであり、その資金の融資を受けるため本件無記名定期預金は設定されたのである。即ち、右開発に関する営業活動が完了し、儲けた利益・資産のより安全な保全を図ろうとする守勢の時期であるならばともかく、この段階においては会社資金の積極的運営のみが要求されていたのである。そして、こうした積極姿勢と逋脱という逃避的消極的姿勢とは明らかに矛盾し、その共存は現実にはありえないはずである。

そしてその後の経過をみてみると、昭和四八年五月二五日に至り、被告人車谷は銀行から融資は受けえなくなるや本件無記名定期預金を解約し、銀行の依頼による一部を除いて同日大部分をもとの北海道拓殖銀行函館支店の会社名義の銀行口座に戻して、これを会社の営業資金として用いているのである。原判決はこの点に融れていないが、逋脱の意図を前提とするならば、この行動は何と説明するのであろうか。

更に、真実客観的に本件無記名定期預金と税務官庁にとつての税の賦課徴収との関係をみるならば、右に述べた通り同年五月三一日の逋脱成立時、即ち不申告の結果税務官庁が被告会社に賦課徴収すべく調査を開始する時点においては、無記名定期預金は既に存在せず、これに用いられた金員の所在と行方は被告会社の正規の銀行口座において明らかになつていたのであるから、何ら資産を隠ぺいする行為とはなりえていないのである。

以上の通り、原判決が被告人車谷の供述から本件預金設定時における逋脱の意図の存在を認定しているのは、当時の客観的背景やその後の経過からいつて、明らかに無理であり、合理的でないといわなければならない。

(三) 然るに、被告人の供述録取書にはあたかも逋脱の意図があつたかの如き文章が記載されている。一体これはどういう意味なのであろうか。

まず、原判決の引用している供述そのものが、通常の人間の一般認識を得て、あたかも具体的な逋脱の意思があつたかの如く作文されていると思われるフシがある。つまり、一般的に無記名であれば誰の預金かはわからないだろう、そして税務署にも知れにくいだろうと問われれば、誰しもが然りと答えるに違いない。同様に、税金はなるべく少ない方がよいだろう、そうであるならば無記名にしておけば都合がよいだろうと問われれば、やはり然りと答えるだろう。そして右の回答を組合せれば簡単に前記引用の供述を作りあげることができよう。またこの場合、供述人が老人であり、病気であつて、しかも多くの取調べ、それも深夜にも及ぶ取調べが繰返し行われていたならば、右のような供述録取書を作成することは一層容易であるに違いない。そして、他の被告人車谷が逋脱の意思を当初より持つていたかの如き供述も、右と同様普通人の認識が意図的に組合され作成されたという以上の意味は持つていない。

ところで被告人車谷は六〇才近い老人であり、付添人とツエなしには歩くことさえできない病人であつた。そして被告人車谷の原審の公判廷における供述によれば、本件の取調べのために国税庁及び検察庁より合計百回程も呼出を受け、その取調べは時には深夜一二時にも及んだとのことである。病身・老令の車谷にとつては千葉県大原の自宅から東京に出るだけでも大変なことであつたし、出頭の都度自動車を頼み付添を頼んでいたのである(電車には乗れず、車に抱きかかえられるように乗せられて来ていた)。それが百回にも及び時には深夜にも及んだとすれば、取調自体が車谷にとつて大きな肉体的・精神的苦痛を伴わずにはおかないものであつて、その当然の結果として、どうでもよいという自棄的な気分に陥つていたことは十分想像されることである。従つて、長期間にわたり繰返し被告人の逋脱の意図を能う限り抽出しようと努めていた捜査において、しかもその最終段階である検察庁の取調べにおいて前述の如き答弁がなされたとしても、(二)に述べた客観的事実とも矛盾し、この供述を信用することができないことは一目瞭然である。

それにもかかわらず原判決が右供述のみを手がかりにして、しかも何の証拠もないのに銀行側から示唆されるや直ちにその時逋脱の意思を起こしたとしているのは、有罪と認定するための強弁以外ではない。

(四) 以上の通り本件無記名定期預金は、設定された背景・動機、供述から窺われる被告人の認識・意義、解約された時期・動機、解約後の使途、及びこれが客観的にも何ら資産を隠ぺいせしめていない事実に鑑みれば、原判決がこれを逋脱の意図をもつて設定したとしているのは事実誤認であり、そしてこれを法人税法一五九条所定の不正の行為に該たるとしているのは、法令の適用において誤りがあり、判決に影響を及ぼすこと明らかである。

三、第三者名義による土地取得行為について

(一) まず原判決は本件土地取得行為につき、被告会社に帳簿類が不備であつた状況で「会社の資金を支出して土地を取得し乍ら、それを第三者名義として所有権移転登記をなさしめることは、そのこと自体被告会社の資産を隠ぺい」する行為であるとしている。しかし、本書面一、(三)で述べた通り、右土地取得に用した代金の支出は、被告会社名義の銀行口座において客観的に明らかになつていたのであつて、しかもこの銀行口座において入金や出金をごまかすための仮装ないしは隠ぺい工作は現に行われていない以上、客観的には取得自体は会社資産の隠ぺいとはいえぬはずであり、これをもつて直ちに逋脱の意図・手段たることを前提とした「偽計その他の工作」と同一視することは、前記最高裁判例に照らして誤まりであるといえよう。

(二) 次に原判決は、本件土地取得行為が既遂となつた後の行為であるとの当弁護人の主張に対して、「本件逋脱犯が既遂となる昭和四八年五月三一日以前において会社資金の支出と土地取得契約という事実行為は実行されているのであるから、単にその結果ともいうべき登記受付日或は登記申請書における登記原因として記載された日が逋脱の既遂時より遅れていることとなつていたとしても、本件土地取得行為が不正の行為であるということの何らの妨げとなるものでもない」と判示して、その基準はあくまで契約であつて登記ではない。

ところが不思議なことには原審段階では検察官から登記関係書類だけが証拠に出て、契約書・領収書は提出されず、従つて弁護人としては登記を基準として判断するのかと思つていたところ、裁判所は後者の方は何の調べもないまま右のような判決をしてしまつたのである。現在改めて本件契約書や領収書をみてみると契約上の買主になつているのは車谷の妻ではなく、被告会社の代表取締役であり、また唯一の社員であるいうなれば被告会社そのものともいうべき被告人車谷自身である。従つて原判決の論理によつても、本件土地が車谷の妻名義で取得されたというためには、逋脱既遂後になされた所有権登記をまたねばならないのである。この点に関しては、原判決の矛盾と事実誤認は明白である。

そして仮に、これが第三者名義による登記を予定した売買契約であるとしても、直接国税にあつては常に逋脱結果の発生したときのみ犯罪が成立するのであるから、本件においては逋脱既遂時には未だ第三者名義になつていなかつたものであり、従つて、仮に本件土地取得行為が不正の行為であるとしても、本件事業年度内における行為であるということはできないのである。

更に、本件土地の取得時期は、通常日常取引の実際においては売買契約によつて直ちに所有権が買主に移転するとは考えられておらず、物の引渡、代金の完済、登記等の行為があつてはじめて移転するものであるところ、原判決はこれを売買契約の締結と手付金の支払のみによつて本件土地は取得されたものとして、現実的には当事者間においても第三者との対抗関係においても移転していない所有権を移転したものとみなしているのであつて、この点についても単に事実行為は実行されたというにとどまる段階で犯罪が成立したとしている原判決の論理は、まことに乱暴であるといわねばならない。

(三) 以上の通り、本件土地の取得名義人につき原判決は事実誤認をしており、これに基いて本件土地取得行為が不正であると誤つた判断を下したものであること明白であり、また取得時期についても取引の現実に基かない時点を基準としている誤りがある。いずれにしても、本件土地取得行為が不正の行為であるというためには逋脱既遂後の登記をまたねばならないのであり、従つてこれは専ら次期事業年度にかかわる行為というべく、その場合にも税務署からそうしないと贈与とみなされ贈与税がかかると指導されたため、該事業年度内に被告会社に登記名義が回復されているのであつて、何ら逋脱結果は発生していないのである。

四、結論

以上述べた通り、原判決はまず法人税法一五九条にいう不正の行為について誤つた解釈をなしてこれを適用したものであることが明白であるとともに、また、被告人車谷の無記名定期預金に関する逋脱意図の存否及び本件土地取得行為に関し事実を誤認しており、更にその既遂時期にしても誤つた判断をしており、いずれにしても破棄を免れない。

尚、基本的には被告人車谷の怠慢に起因する単純無申告にすぎない本件事実を、あらゆる場面において意図的に不正の行為に関連づけようとする予断とも偏見ともいえるような原審の姿勢は、本件岬町の土地売買契約書の存在さえ確認しようとしなかつた事実や、被告人車谷が調査にあたつた税務署員から「領収書をもつてくれば何でも経費として落としてやるから持つて来い」と言われたために行きすぎて作成したにすぎない(現にその作成は後からなされた)水増領収書を捉えて、あたかも車谷が当初から積極的な逋脱意思を有していたかの如き判示をしたり、更に判決文自体においても「本件無記名定期預金を銀行側から示唆されるや」直ちに被告人車谷は逋脱の意図をもつたかの如きレトリツクが過ぎる表現方法を用いるなどの著しい誤謬となつて表われていることを最後に指摘しておきたい。

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